6. お店の人

(2003年に通算20年以上生活したスペインから日本に帰国。翌年ホームページで発表した『フラッシュバック・スペイン』の一部です。) 

20数年前の未だECにも入ってなかったスペイン。ピレネー山脈を越えたらヨーロッパではない、つまりアフリカだと言われ、スペイン人もそれを肯定していたスペイン。なんせ、「欠点を誇りに思うスペイン人」、ですからね。ヨーロッパなんて気取ったことをいわれるより、アフリカと呼ばれるほうが性に合ってる。俺たちゃ野蛮なんだよ、ヨーロッパったってま、半分アフリカみたいなもんさ、でもフランス人よっか人がいいぜ、ドイツやイギリスに住むよっか楽しいぜ、スペイン人は人生を謳歌してんのさ、ってね。

 仰る通りです。一般的に言って人もいいし、人生も謳歌してます。勿論人は千差万別で、悪いスペイン人だってネクラなスペイン人だっているんだけど…。
 ごく主観的には、近代の前には世界を制覇したこともある国だから、国民性に一種の高潔さのようなものも感じられた。外国人だからといって吹っかけられたり、釣り銭を誤魔化されたりする心配は、普通の店では先ずなかった。むしろ、決してふっかけてるのではないということを必死で説明したり(?)態度に滲ませようとすることもあった。こっちはただ、お勘定が聞き取れなかったり、端数が覚えられなかったりするもんだから、聞き返してただけなんですけどね。ま、お上りさんや外人をカモにしようとする悪いヤツはどの観光地にもいるもんなんで、そういうのと同じにされたくない、うちはそういう店じゃない、と示したかったんでしょう。スペイン人にも自意識過剰の人、います。

 23年前のマドリッドには大型スーパーは殆どなかった。地区にもよるが、食料品・日用品の買い物は殆ど個人商店かそれが集まったメルカード、つまり市場、或いは個人商店に毛の生えたような小さな小さなスーパーマーケット。

 卵のバラ売りもあったし、一本のパンを半分に切って売ってくれたりもした。勿論通常は、卵だって半ダースや1ダースのケースに入ってました、当時でも。でも1個とか2個とかでも売ってくれたのだ。パンはスペインでは毎日買うもの、その日に食べるだけを常に焼きたてで買う。Barra、つまり「棒」といって所謂フランス・パン状の長いのを、家族の人数に合わせて1本、2本、3本、或いは2本半なんていって買う。当時のスペインには子沢山の大家族が多かった。
 が中にはひとり暮らしの未亡人とか私のように家族と離れて下宿しているスペイン人だっているわけです。ひとりじゃそんなに食べられないから、長さが通常の半分のパンや小型の丸いパンもある。でも大きなパンを半分に切ったのと、最初から小さく作って焼いたパンでは、味が違うのですね……大きい方がおいしい。で、2本半という買い方ができるのなら、ただの半本でも買えるだろうか? 半分に切った残りがあるわけだし…そう思って見てると、いるのですね、やっぱり。半分だけ買ってる人が。「棒半分」と言うと、長いパンを半分に切って売ってくれるのだ。でもパン屋さんは忙しい。計ったりなんかしないで目測で切るので、きっちり半分ということは先ずない。どっちかが多めでどっちかが少なめになるのだ。でも今日1センチ短い方が当たったとしても明日は2センチ長い方が当たるかもしれない。長い目でみればどってことない。1ペセタや2ペセタの違いはお互い様…それがスペイン式の人間関係なのだ。
 今でもお釣りの小銭がない時は、2捨3入で切り捨てたり切り上げたりする。今はユーロになったので、単位はセンティモ。たとえば1ユーロで72センティモの買い物をしたとする。レジに1セント玉がなかったら30センティモ返してくれて、つまり2センティモおまけ。それが73センティモの買い物だったら、お釣りは25センティモしかくれない。「すみません、2ペセタ貸しといてください」と言われて、それを真に受けちゃダメです。[センティモっていうのが長くて言いにくいのと長い間の習慣で、つい「ペセタ」って言っちゃうんです、お店の人も]。
 でその2ペセタ、じゃない2センティモはもう帰って来ないのです。勿論小銭がある時はきちんとお釣りを返してくれる。でも細かいことは言わない。

 今日貸しができたって今度は借りる立場になるかもしれない。お店の方でも、あるお客に貸したら別のお客からは借り、で長い目、大きい目でみたら貸し借りの勘定がほぼ合うんだと思う。
 不思議なのは、個人商店はともかくとして、スーパーやチェーン店等、ある程度組織の大きなところで1日の会計を閉めるときにはどうするのか? 監査だってあるだろうし…スペインで簿記を習ったら、こういうところはどう教わるんだろう?
 これが日本のスーパーだったら、先ず釣銭用の小銭はたっぷり用意しといて、足りなくなったら他のレジで両替して、それで1日の終わりに、レジが1円合わなかったら大騒ぎになるんじゃない?

 留学時代の殆どを過ごした地区に一軒の卵屋さんがあった。鶏肉屋といった方がいいかもしれない。家族経営で、ラッシュ・アワーには第一線からは既に退いたおじいちゃんも手伝いに出ていた。ある時スペイン人の友達数人に鶉の卵を使った料理をご馳走することになった。いつも普通の卵の隣に置いてある鶉の卵のケースが、その時は見当たらなかった。「今日は鶉の卵、ないの?」とおじいちゃんに聞いた。彼はニコニコしながら首を横に振って「今、フカ中なんだよ」と言った。「フ・何?」「フ・カ」「フカ?」「そう、フ・カ・してるとこなの」…
 孵化というスペイン語を知らなかった留学生に、おじいちゃんは何度も何度も同じ言葉を繰り返した。意味は大体想像できましたけどね、それに次世代の生産を確保するためには時々「孵化」させなきゃいけないってのも分かるような気もしますけどね……でもお店で売る卵を孵化して孵るのかしらん……有精卵?
 料理は普通の卵で作るしかなかった。スペイン人の友達たちに「鶉の卵は孵化中なんだってさ」 と説明した。彼らも分かったような分かんないような、そんな顔をした。

 外国人だからと言って吹っかけようとする商売人は少なかったが、「モノの買い方を知らない娘っこ」を軽くみる商売人はいた。なんせその頃のスペインは大家族です。買い物のベテランである専業主婦達は何でも大量に買う。肉でも野菜でもみんなキロ単位。そしてどういう商品を寄越すか、店員の手元をしっかり見張ってる。そんな中で「トマト2個」とか言うと、背中で隠しながら傷みかけたのを寄越す。アサハカですねえ、ベテランのセニョーラと違って丁々発止の文句言わないからって、そんなことしたら二度と来ないのに!

 メルカードに数回通うと、どの店が正直者で気立てがいいか、どの店が安いか、見当がついて来る。私が野菜を買うことに決めたのはガリシア地方出身の夫婦がやってる店だった。土曜や学校のない時には小学生の子供達が店を手伝っていることもあった。お兄ちゃんは小学校高学年、妹は低学年。その低学年の方から野菜を買う回り合わせになった。筆者に「ピーマンひとつ」と言われて彼女はそれを秤にのっけた。針は2分の1キロでも4分の1キロでもない中途半端なところで止まった。[スペインのピーマンは巨大なのです]。
 スペインの食料品の単価は1キロ当たり、つまり1キロ幾らというのが普通だ。そしてお客の方は、1キロとか半キロ、或いは4分の1キロと言って注文するのが普通です。だから、例えば1キロ24ペセタの野菜を半キロ注文されたなら値段は12ペセタ、野菜の方を大小みつくろって丁度半キロぐらいになるように秤に載せ、少々オーバーした分はおまけすればいいのだ。だが、日本人留学生の「ピーマンひとつ」という注文の仕方は小学校低学年にはちょっと変則すぎた。もしかしたら「分数」も未だ習ってなかったかもしれない。針の止まったところを見て途方にくれた彼女は、隣のお兄ちゃんの上衣の裾をひっぱった。ねえ、これ、幾らって言えばいいの? 目で問う彼女にお兄ちゃんは秤を見、そして私の目を真っ直ぐに見て「○○ペセタ」と言った。 頼もしかったねえ、お兄ちゃん!

 重さ当たりの単価を入れるとドンピシャリの値段が出て、更には売り手毎、お客毎の合計を出してくれるような電子秤は、ずっと後になってから現れたのである。当時は普通の計算器さえも殆ど使われてなかった。何種類かの野菜を買うと、それぞれの野菜の値段はキロ当たりの単価から暗算(又は概算)し、それを野菜を包む紙の裏に書いていって、最後にトータルを出した。お店の人はみんなボールペンを持っていた。耳の後とかに挟んでいたような気もする。
 当時アメリカや他の欧米諸国で仕事をした経験のある日本人達の話を総合すると、スペイン人の暗算・筆算能力やお釣りの計算能力は世界平均よりも高そうだった。 算数ができるの、日本人だけじゃないです。

 買い物の新米には魚を買うっていうのはちょっと引ける。日本みたいに切り身になってるわけじゃないし、お刺身のパックも干物もない。名前も分からず、そして全身像を知らない魚をどうやって買うのか? そう、スペインの魚屋さんでは、大きな魚は大きいまま置いてあるのです。観察してると、鰹のような大きな魚が頭を落とした塊で出ているのは、必要なだけ切って貰うようだ。買い物のベテラン?になってから分かったのだが、輪切り、ブツ切り、皮付き、皮なし、骨付き、骨なし、骨付きの皮なし、骨なしの皮つき…調理方法や好みに応じて何でも自由自在である。
 で小さい魚なら丸ごと買ってさばいてもらう…でもどんな魚でもさばいて貰えるのか、それとも鰯みたいに安い魚はダメなのか…それとも魚屋さんによるのか…自分でさばくのはちょっと自信ないし…同居のスペイン人女性も未だ若くて、魚を買って家で料理するという経験はあんまりなさそうだった。どうせ出刃包丁も魚焼き器もないんだから、無理して経験することはないか……留学時代の自炊メニューには魚が皆無だった。

 ある時、鱒のオーブン焼きをご馳走になった。これなら自分にもできるかもしれない。勇気を出して鱒とおぼしき魚が並んでいる魚屋さんに近寄った。
 「あのー、マス? をソージ?して貰えますか?」魚屋さんはニヤニヤしながら首を横に振った。見くびられた、イヤ「モノの買い方を知らない娘っこ」だと見破られてしまったのだ。
 しょうがない、ちょっとギザギザになるかもしれないけど、家にある小型ナイフでなんとかさばいて みよう…
 まな板に乗っけてイザ、というところで気がついた、内臓もエラもない事に。ちゃんとソージしてから並べていたのだ。イジワル! それならそうと言ってくれればいいのに。でもちゃんとソージしてあるのを見抜けないくらい、魚を見る目も魚屋さんを見る目もなかったのだ。だからまあ、仕方ないですね、ちょっとからかってやろうと思われても。

 86年頃から住んだ地区はマドリッドでは比較的新しいところで、メルカードが近くになかった。替わりに大手のスーパー・チェーンが幾つかあった。
 高級スーパーSのS通り支店の肉屋さんはアンヘル、つまり「天使」という名前だった。もしかすると赤ちゃんの頃には「天使」のような顔だったのかもしれない!? 人が良くって冗談好き、お客のセニョーラ達との会話を本気で楽しんでいた。急いでいる時には、前のセニョーラとの会話が早く終わらないかとイライラすることもあった。彼に最初に日本式「薄切り肉」の切り方を指南したのは留学時代に世話になったAさんの奥さんに違いない、と筆者は思っている。回りをちょっとだけ冷凍して、そうしたら機械で薄く切れるようになるのよ、スキヤキに使えるように。彼はリクエストに従って肉の塊を前日冷凍し、同じスーパーのハム屋さんの機械を借りて薄切りするようになった。スーパーSの「スキヤキ用肉」の誕生である。
 Aさん一家は日本に帰ったが、他の日本人が遠くからも買いに来るようになった。前以て冷凍の塊肉を用意しなくてはならず、又ハム屋さんの機械を借りなくてはいけないので、フリでは買えない。電話で予約し、1キロ・2キロと買いだめして行く。スキヤキ用の高級牛肉だけでなく、豚肉や三枚肉を同じように薄切りにしてくれと頼む日本人のセニョーラも現れた。全て「スキヤキ用」で通った。それが「薄切り肉」の代名詞になったのです。
 S支店では肉屋さん専用に新しい薄切り機を備え付けた。ハム屋さんのを空いてる時間に借りに行かなくてもいいように。

 筆者は「フリ」でもスキヤキ肉が買えるようになった。一人暮らしの貸家で大きな冷凍庫もなかった身にはせいぜい4分の1キロくらいしか買えない。それ位の量なら前日に予約しとかなくとも、遠くからも日本人が来る週末に行けば、「天使」が多めに切っておいた薄切り肉を分けてくれるようになったのだ。数年後に彼は他の支店に転勤になったが、「スキヤキ用肉」の伝統は後任の肉屋さんに受け継がれてS支店に残った。

 それから更に数年後、カステジャーナ大通りを挟んだ反対側に家を買って引っ越した。近くにスーパーSのC通り支店があった。肉売り場に行ったら「天使」が居た。彼の転勤先はここだったのだ。
 「天使」もこちらのことを覚えていてくれた。日本人客が余りいなくて「スキヤキ用肉」を常備していないその支店で、私は薄切り肉が買えるようになった。彼が手持ちの肉の中から機械で切れそうな硬さの塊を探して、ハム屋さんの機械を借りて切ってくれたからだ。
 お喋りで冗談好き。時にはイライラさせられるけど、彼の選んでくれる肉には間違いがなかった。自分は食べたこともない日本料理や中華料理の説明を聞いて、それならここがいい、と選んでくれる。最近でこそ前もって精肉したパック製品なども並ぶようになったが、スペインの肉屋さんの基本姿勢は、塊肉を並べて、それをお客の要望に応じて切り分けたりミンチにしてくれたりするのです。厚切りステーキ、薄切りステーキ、煮込み用、塊のまま、ミンチも粗挽きや二度挽きと、これも自由自在。牛や豚の全身の部分とそれぞれの用途なんていうのに詳しくはない筆者は、彼が選んでくれる塊に全幅の信頼を置いていた。狂牛病騒ぎで肉屋さんの前にお客が並ばなくなった時にも、彼のところで牛肉を買った。「前のセニョーラ」が居ないので、すぐ買えたし。

 日本に帰ることを彼に話した。ふたりで「スキヤキ用肉」の切り方を彼に教えてくれた日本人のセニョーラの思い出話をした。家を引き渡す2日ほど前に最後の買い物をした。もう食材は殆ど要らなかったが、彼のところで上等のステーキ肉を買った。「おいっしい、ステーキ肉をちょうだい!」
 彼はいつものように塊を選び、ステーキ用に切り分けて秤に乗せた。自動的に値段の出る電子秤の目盛りを見つめながら「シンボリックな値段にしとこう…」と言って単価を打ち込んだ。冗談みたいな言い方だった。彼がつけた値段をレジに着くまで見なかった。上等のステーキ肉には只同然の値段が付いていた。

 スペインの商売人って一般に日本より融通が効くような気がする。お店でもバールでもホテルでも、臨機応変にお客のリクエストに応じて、レストランなんか、メニューにないものでも出してくれちゃう。でこれ又臨機応変にその場で値段決めちゃうんだから……
 お腹の具合の悪い時など、油っこい料理の多いスペインでの外食はちょっとキツイ。でもこのメニューの魚をただ焼くだけにして、とか、シンプル・オムレツひとつだけ、とか言って頼むと、ちゃんと頼んだものが出て来て、それで後で勘定書きを見ると結構納得のいく価格設定になってる!

 食べ物だけじゃない。ある時デパートのバーゲンで洋服を試着したら、ボタンが1個取れていた。そのサイズは1着しか残ってなくて、予備のボタンは付いてない。幾らバーゲンで買っても、1個のために全部のボタンを付け替えるのもなあ…って逡巡してたら、店員嬢、サイズ違いの同じ服からボタンをひとつ引きちぎって、ニコヤカに差し出しました。ほら、これあげるから付けなさい、ってか?
 買っちゃいましたけどね、結局。でボタン1個別に貰って帰った……ああやって順繰りにボタンを引きちぎっていったら…最後に買う者が損をする???

 すっかりスペイン式の買い物に慣れてしまった筆者ですが、スペイン式2捨3入システムを理解したのは、実はずっと後になってからだった。当時買ってたメルカードの肉屋さんに初めて「1ペセタ貸しだよ」と言われた時には、ほんとに返さなきゃいけないと思って、大急ぎで他の店で両替して戻りました。「はい、これ、さっき借りた1ペセタ」と言って差し出すと、肉屋さん、目を大きく見開いて、感極まったような声で「グラシァス」って言ったっけ!

 尚、当時スペインに初めて来た日本人にゴミ・トラックと共に強烈な印象を与えたのは、卵の黄身の色だった。オレンジ色といっても良かった。人口飼料で育てられた日本の雌鳥の卵の色とは明らかに違ってたのに…気がついてみたら今は「黄色」だ。20年後の日本の卵の黄身の方が色が濃いような気がすることもある。
 黄身の色は薄くなったけど、最近のスペインでは「コレステロールを減らす卵」だの「不飽和脂肪酸を増やす卵」なんていうの、売ってます。スペイン人も健康志向、です。