お稲荷さん

住宅地の一角に残った空き地のお稲荷さん

ビンゴと散歩した辺りにあった筈と行ってみたら、未だ残っていた。

母の実家の庭にはお稲荷さんが祀られていた。
母の祖父に当たる人が、あるきっかけから信仰して祀ったそうだ。
思い出す限りの昔からそれはそこにあって、毎朝祖母がお供えする水と米を用意し、祖父はそれをお供えして拝んでから仕事に出かける。
家族の無事や孫の受験の成功など、事ある毎に祖母はお稲荷さんにお願いしてたそうだ。

そのお稲荷さんが、ある時、自分はもう疲れた、伏見のお山に帰りたいと言った。
祖父はもう亡くなった後だったと思う。
手芸を教えていた叔母が毎年お年始に生徒さんに配るフェルトで作った干支の飾り(今でいう携帯ストラップみたいなもんですね)を貰った若い生徒さんの中に、霊感のあるお祖母さまが居る方がいて、そのお祖母さまがフェルトの飾りを手にして「こんな勿体無いものはいただけない」と言い出したそうなのだ。

叔母は毎年、作った飾りを一旦お稲荷さんにお供え(というのかどうか知りませんが)してから配っていた。
フェルトの飾りは手芸キットのようなもので、神秘的なところはひとつもない。
年末年始を母の実家で過ごした際に、私も製作を手伝った事がある。

で、そんな事言わずにどうぞ、頂けません・・というようなやりとりの後、とにかくひとまず、そのお稲荷さんを拝ませて下さいと言って来られた(生徒さんの)霊感のあるお祖母さまに、お稲荷さまが乗り移られたという事なのです。

居合わせた祖母や叔母の話から想像すると、その方は多分一種のトランス状態のようになって、本来の声とは全く違う男の人の声で喋ったそうです。
「長い事ようしてもらったけど わしももう歳やし疲れたよぉ 伏見のお山に帰りたいよぉ」と関西弁で。

祖母と叔母たちはびっくりして、どうしたものか悩み、伏見神社にも問い合わせたりした結果、やはりお稲荷さんには伏見のお山に帰って頂こうという事になって、叔母ふたりで電車に乗って京都まで、お稲荷さんを持って行ったそうです。

この話は昔のブログにも書いた事がある。
その後何年か、母の実家の庭にはお稲荷さんの居なくなった祠と鳥居だけが残っていたけれど、それもある時取り壊され、そして今年、遂に家自体もなくなってしまった。
祖母亡き後、ひとりその家で暮らして居た叔母が施設に入り、メンテが難しくなったから。

母の遺品から、昔書いたブログの記事を印刷したものが出て来て、消えかけた日付を見ると2006年7月23日とある。
そしてそれには、母が手書きで書いた付け足しが一枚ホッチキスで留められていて、母の祖父がお稲荷さんを信仰するようになったきっかけ、実家の庭にあったお稲荷さんの名前、そして母が子供の頃、毎年近所の人たちも招いて盛大に行ったという、お稲荷さんの二の午の祭りの様子と、そのお祭りがとても楽しみだった事が綴られている。