飼えなかった犬たち

捨て犬

病院前から幼稚園に行く道端に、箱に入れられて仔犬が捨てられていた。
見つけたのは、今も小学校時代の友達としては唯一年賀状の続いている当時の親友とだった。
愛くるしい黒い仔犬を放って置けなくて、家に連れて行って飼ってもいいか、飼いたいと言ったのか、詳細は覚えていないけれど、母に話した。
答えはノー、母は、そんなの父がいいという訳がないと言った。
そんな素性も分からない犬を父が許す筈がないというニュアンス。
父も母も犬の居る家庭で育ち、犬好きだったし、雑種犬を飼っていた事もあったのに、何故そんな風に言ったのか分からない。
最初に仔犬を見つけたところに行って箱の中に戻し、必死で追いかけて来るのを振り切ってその場を去った。
仔犬は結局、一緒に仔犬を見つけた友達の家で飼われる事になった。
捨てられていた場所に戻した後で、友達が親と話して又戻ったのか、詳細は分からない。
小さめの中型犬くらいの大きさに育ち、友達の家に行くと、いつも庭に繋がれていた。
うちでは飼ってはいけないと言われたのに、友達は飼って貰えたという事が思い出。

 

迷い犬

同じく小学生の頃、多分母が盲腸炎で入院していた時に、金沢から手伝いに来ていた叔母が、迷い犬と思われる犬を可哀想に思って食べ物をやった。
当然の事ながら、その犬は家を離れようとしなくなり、叔母と一緒に病院に見舞いに行こうとした時も付いて来た。
歩いて行く道の反対側を歩いて、角に差し掛かる度に、こっちですか?というような仕草を見せて、でも曲がらないと分かると又戻って来て、とうとう病院まで付いて来た。
当時の病院は今よりものどかで、犬も一緒に入れてしまった。
入院病棟に行く途中の庭のようなところで、犬は他の人たちに構われていたような記憶が朧げにある。
その後の記憶はなく、帰る時には姿が見えなかったのか、とにかく付いて来なかった。
もし家に居着いてしまったら、両親が何と言うか心配だった気もする。
誰か他の人に付いて行って、飼って貰えたのなら良かったと思う。

 

工場の犬

スペインと日本の製鉄会社の間で結ばれた技術協力契約の枠内で、3ヶ月に渡ってスペインに派遣された日本人技術者の通訳として付いて行った工場に、その仔犬は居た。
黒い毛で、構ってやると愛くるしく付いて来て、お座りも覚えた。
当時は3ヶ月くらいかなと思ったけれど、今考えるともう少し育っていたのかもしれない。製鉄と言っても色んな工程があって、厳密に言うと冷延工場で、火が燃え盛っている炉がある訳ではない。
けれど重機その他の危険なものはあるし、油にまみれた、決して犬にとっていい環境とは言えない場所で、工員たちに食べ物を貰ったりして生きていたのだろう。
その工場には未だ乳離れしていない仔犬を抱えた別の雌犬も暮らしていて、ある工員は黒い仔犬もその雌犬の子供だと言ったけれど、仮にその雌犬が年2回出産していたとしても、それは計算が合わない気がした。
雌犬は他の仔犬を抱えているので、黒い仔犬が近くに行くと追い払う、仔犬は雌犬の居る方には付いて来られないで、そちらに行こうとすると途中で止まってキュンキュンと泣いた。
工場は土日休みで、週末になると誰も食べ物をくれる人が居なくなる。
仔犬は腹を空かせて食べ物を探し、あちこち引っ掻き回したらしい。
それを「悪い子だ」という工員も居たけど、そりゃ当たり前でしょう。
私はホテルの朝食ビュッフェから茹で卵を余分に取って、仔犬に持って行ってやったりしていたけれど、どうしても放って置けなくなった。
ホテルのコンシェルジュに、こういう犬が工場に居るんだけれど、誰か飼ってくれる人はいないだろうか?と相談を持ちかけ、彼は聞いてみると言ってくれた。
汚れているし、可愛い愛玩犬ではないよ、大きくなると思うよと、私は念を押した。
白くて小さいフワフワのマスコットを期待してるような人が手を挙げて、結局要らないというのでは可愛そうだから。
ホテルの電話交換をしていた女性は、飼ってもいいかなと思ったんだけど、でも小さな子供が居るので、もし怪我をさせたら困るというような事を言った。
いや、そういう人には諦めて貰った方が良いです。
ベルボーイの少年は、欲しいけれど家にはもうドイツ・シェパードがいるから飼えないんだと言った。
最後にパブロというホテル・マンが飼ってもいいと言ってくれたらしい。
コンシェルジュも彼は動物に優しい気がすると言って、私は仔犬をホテルに連れて来る事に決めた。
工場までの往復にスペイン側が用意してくれていたワゴン車に、食べ物で釣って仔犬を上がらせた。
仔犬は最初焦って暴れたが、その内びっくりする程おとなしくなって、運転席と助手席の間にじっと伏せって動かなくなった。
運転手の青年は、これは以前車に乗った事があるからだ(車で捨てられたんだ?)と言ったけれど、私には運命を察知して、静かにそれを待ち受けているように思えた。
工場には油汚れを拭き取る為のボロきれが常備されていて、私はそれでできる限り仔犬の体を拭いてやり、又紐を作って彼の首に繋いだ。
ホテルに着いてから、勤務時間外で家に居たパブロがコンシェルジュからの電話で来るまで、ガレージの入り口近くで仔犬と待った。
工場暮らしで汚れた犬をホテルのロビーには入れられない。
レストランのボーイが灰皿に入れてくれた牛乳をやると、仔犬はそれを舐めた。
ベルボーイの少年が2人、ガレージまで犬を見に来た。
既にシェパードを飼ってるから飼えないと言っていた少年は、残念そうにそれを繰り返した。
もうひとりの少年は、「可愛くないって言ってたから…」と、想像してたより可愛かったのか、やはり残念そうだった。
仔犬はおとなしく、彼らに構われながらもじっとしていた。
最後にパブロが4歳の娘を連れてガレージの入り口に現れた時、仔犬は急に立ち上がってワンワンと吠えた。
パブロは娘に子犬を触らせて、「どう? 気に入ったか?」と聞いた。

それまでおとなしくじっとしていた仔犬、ベルボーイの少年たちが遊ぼうとしても動かなかった仔犬が、彼らが来た時に立ち上がって吠えたのは今でも不思議でしょうがないけれど、やはり彼が、自分の運命を察知したとしか思えないのだ。
そしてパブロが、犬が子供に怪我をさせるというような心配をせずに4歳の娘を連れて来て、油で汚れた仔犬に触らせてくれた事には大きく安堵した。

パブロはホテルで働く他に店を持っていて、その番犬が欲しいと思ってたそうだ。
店で飼われる犬というのは、家庭で飼われるのとは違うかもしれない。
それでも工場で誰の犬でもなく、その日暮らしを続けるよりは、飼い主の居る生活の方がいいと決めた事だったけれど、仔犬の一生を決めてしまう事になるのは重い責任だったから。

ホテルを去る朝、部屋に荷物を取りに来たのはパブロだった。
工場で仔犬と遊ぶのに使った軍手を、彼にやってくれと言って渡した。