15. 人生の贈り物

(2003年に通算20年以上生活したスペインから日本に帰国。翌年ホームページで発表した『フラッシュバック・スペイン』の最終章です。)

初めてスペインに行った時はトランク1個だった。船便の小包をひとつ別に送った。
2年後に日本に帰った時にも小包をひとつ先に送って、そしてトランク1個と手荷物を持って帰って来た。
2度目にマドリッドに腰を落ち着けた時はトランク2個だった。少し賢くなって、トランクはハードケースからソフトケースに変わっていた。その方が沢山入るのだ。
それから18年、家財道具もその他の荷物も増えていた。18年間の生活の積み重ねと思い出があった。家は持って帰れないけど、その家のローンを払いながら少しづつ揃えた家具は持って帰ろうと思った。日本でゼロから再出発するのではない。スペインでの20年を消してしまうのではなく、その上に人生の新しいページを開くために。

運送業者を頼んでの、初めての「海外引越」だ。説明を受けて慄いた。自分でやらなきゃいけない大変な作業がある。通関手続きと保険のために、送るものを全部、それも箱ごとにリストアップして、評価額を決めなくてはいけないのだ。どこから手をつければいいのか…
会社を辞めてから3週間あれば何とかなると考えて日程を決めたのだが、それでほんとに足りるだろうか?
折りしも記録的な猛暑で、比較的涼しい家の中でもちょっと動くと汗がだらだら。おまけに天井扇風機は手配の都合で先に外してしまった。業者を頼むのだから箱詰めもやって貰おうと思っていたのに、結局自分で箱詰めすることになった。その分費用が節約できるということもあったが、そうしないと「箱ごとのリスト」ができなかったのだ!

書籍、季節外の服、と手のつけられるところから始めて数日、少し要領が分かって来た頃、それまで考えていなかった問題に気づいた。順次箱詰めが終わって行くので、使えるものが日に日に少なくなって行く。最後の数日はどうやって生活するのか? 搬出の日の朝、日用品の荷造りは完了していなくてはいけない。直前まで使うシーツや搬出後にも使いたいタオルは…どうする?
持って帰るものは早めに洗って箱詰めし、最後の数日は捨てて行っても構わない古いものを使うしかなかった。シーツの古いのはすぐ選べた。小さめのタオルも2・3本、もう捨ててもいいと思うものがあった。悪いけど捨ててくから、最後に役立ってちょうだい…あとはバスタオル…数年前にラインアップを換えた時に、古いの捨てないで取っときゃ良かった、こういう時に役に立ったのに…
作り付けタンスの上の奥から、思いがけないものが出てきた。留学のために初めてスペインに来た時、トランクに入れて持ってきたオレンジ色のバスタオル。スペインのものに比べるとかなり小さめで、留学時代の2年間、毎日使って洗いざらした、20数年前のタオル。何故取ってあったんだろう。それよりも18年前、一旦持って帰った日本から何故又持って来たんだろう。あの時は仕事でホテル暮らしをすることになってたんだから、タオルなんかいらなかったのに…
仕事が終わった後マドリッドに腰を落ち着けることを予想して、その時のためにトランクに入れたんだろうか? それにしても何故新品ではなく古いタオルを入れたのか?入れた理由をもう覚えていなかった。それから少しは使ったんだっけか? それともすぐに新しいタオルを購入したんだろうか? ずーっと使ってなかったのに何故今まで持ってたんだろう…
きっとこうやって思いがけないところから出てくるたびに、捨てがたくて又しまってたんだろう。気持ちは決まっていた。これをスペインで最後に使うタオルにしよう。お礼を言って、そして謝って、捨てて行こう。

帰国して5ヶ月、スペインから訃報が届いた。最後の数年間、リストラが繰り返される職場で一緒に頑張った仲間だ。50歳を出たばかりで、誰も予想してなかった突然死だった。他の仲間達の動揺が何千キロを経て伝わって来るような気がした。
私が会社を辞めたのと時期を同じくして、難しいポストに就任していた。2ヶ月程前には、来年は君にとっても僕にとっても新しい一歩を踏み出す大事な年になる、君が採ったような重大な決断を、決して後悔してはいけない、というメールをくれていた。

入社した頃のその会社は、若くて自由な雰囲気のある小さな会社だった。それが数回の合併を経て大きくなり、最初の頃の仲間はひとり、又ひとりと会社を去って行った。自ら、或いはリストラで。でも筆者は残ったし、最後の数年間を共にした仲間達も、出身会社こそ違え「残った仲間」達だったのだ。会社の組織・方針・製品・システム、その他全ての変更に何度も耐えて、そしてリストラや経費削減に耐えて、黙々と自分の仕事をしながら、ここまで生き延びて来たのだ。みんなもう若くはない。気持ちも疲弊している。でもちょっとやそっとの事じゃ倒れない打たれ強さと底力がある。口は悪いけどその分余計な遠慮はしなくてもいいし、心の底ではお互いを思いやり信頼している、そういう仲間達が好きだった。いつか又スペインを訪れて彼らに再会したなら、又お互いヘラズグチをたたきあって、そして昔の苦労話はみんなで面白おかしく笑い話にして…というのを心のどこかで楽しみにしていた。その場にひとり欠けた人間がいるというのは、どこにも持って行きようのない無念さだった。

この20余年の間にスペイン社会は確実に変わった。
キャリア・ウーマンが増え、子供の数が減って大家族が少なくなった。
個人商店が減り、スーパーやフランチャイズが増えた。
インスタント食品が増え、テイクアウトの店が多くなった。
昼休みを取らない店や、夏季休暇を分断して取るスペイン人が増えた。
環境意識が芽生え、ゴミのリサイクルが始まった。
ATMが増え、新車が増え、インターネットやケータイが普通になった。
移民が増え、外国人が多くなった。
ピザや中華料理以外の外国料理が広まり、海外旅行をするスペイン人も増えた。
物価が上がり、治安が悪くなった。

だけどスペイン人の本質はそんなに変わってないような気もする。そりゃ皆昔より歳をとって、ヨーロッパ人みたいになって来ましたけどね……
それに昔の方が良かったと言うのはスペイン人に対して不公平だ。お前達、どうか世界から遅れたままでいてくれと、言うようなもんじゃないか。

…知らない人でも助けるスペイン人、困った時はお互い様のスペイン人……調子がよくって、なんとなくイイカゲンだけど、思ってることも思ってないことも、時にオーバーなくらいまくしたてるけど、そして頑固で石頭で、なかなか意見がまとまらないけど…「紳士」の国のイギリス人よりは多分愉快で、「エレガント」なフランス人より多分人が良くって、「勤勉」なドイツ人や、そして「組織立った」日本人よりも多分融通が利く…思いのほか真面目で、結構正直で、意外に約束守って、存外計算ができて、イザとなったら底力を発揮する…

スペインやスペイン人が嫌いになったわけじゃない。そりゃあまあ、最後になって、フランスの方がスゴイかな、とか思っちゃいましたけどね。でもそれよりは、人生の「機が熟した」のだ。
自分の中の変化とスペイン社会の変化、そして日本の社会で起こりつつあるような予感がする変化が一体となって、「そろそろ日本に帰ろうか」という方向を向いていたのだ。生活を変えてみたいと思った。もっと自分の好きなことをする時間が欲しいと思った。年金生活に入る前にもう一度チャレンジしたいと思った。自分の夢を追いかけて新しい人生を探すために帰るんだと。

数年間かけて自分の気持ちを確かめ、新しい道を探り…最終決定をしてからの道は不思議なほどスムーズに開けて行った。最初の、そして最大の不確定要素だった家の売却はあっけないほど簡単だった。初日に、ほぼこちらの言い値通りで買い手が決まったのだ。

人生がご褒美くれたかな、と思った。

或る日或る時、スペイン語を勉強し始めた。挙句の果てにスペインまで行った。23年が経って日本に帰って来た。

いつか又ヨーロッパに行こう。ヨーロッパの古い街並みを、又腰が痛くなるほど歩き回ろう。
そして最後にスペインに行こう。飛行機がピレネー山脈を越えたら、大地の色が変わる。バラハス空港に着陸する前には、周辺の赤土に点々と緑の植わった、幾何学模様のような図形が現れる。マドリッドに着いたら、昔の仲間達を訪ねよう。みんなで又、ヘラズグチを叩きあい、そして笑い合おう。彼らは最新のチステを、次から次へと披露してくれるだろう。