9. 売り家探し(改題及び抜粋)

(2003年に通算20年以上生活したスペインから日本に帰国。翌年ホームページで発表した『フラッシュバック・スペイン』の一部です。) 

 86年に「弁護士の妻」のアパルタメントを借りる前、近くの建物に一軒の売家があった。1寝室の新しいアパルタメントで400万ペセタだった。40平米として平米当たり10万ペセタ?
 「弁護士の妻」のアパルタメントは家賃6万だったから、6年間くらい家賃を払うことを考えたら十分買えたわけです。当時の円とペセタの関係は、厳密には多少円の方が強かったと思うが、色んな物の物価を比較すると1ペセタ=1円くらいの感覚だった。1軒買っとけばよかったなあ、あの頃に……それから18年もスペインに住み続けることになるなんて、思ってもみなかったのだ。

 EC加入後のスペインでは不動産が値上がりし始めた。一般の消費者物価指数が毎年4%とか5%の率で上昇している時に、不動産はその2倍から4倍くらいの率で急上昇したのです。
 そもそも「弁護士の妻」と最初に揉めたのも、これと関係がある。彼女と交わした賃貸契約には、期間延長の場合は消費者物価指数に基づいて家賃を上げる、と謳われていた。「不動産の消費者物価指数」を基準にするとは書いてなかった。現に「不動産」の上昇が「一般」の上昇を下回った1年目は、彼女は値上げの基準として黙って「一般」を採り、筆者もその条件を呑んだのである。2年目になって「不動産」が「一般」の倍くらい上がった時、彼女は又黙って「不動産」を採ろうとした。それはないでしょってェ……その時その時で都合のいい方に変えるなっての!!

 それくらい不動産の価格が高騰したってことです。この頃から、バルセロナ・オリンピックとセビージャ万博の同時開催にこぎつけた1992年までは、いわばスペインの高度経済成長時代、つまり一種のバブル?

(中略)

 家を買うまでの約1年間に見た物件と、貸家を探していた頃に見た物件を合わせれば、その地域内にある建物で小さな間取りのアパルタメントがあるものはどれとどれか、その殆ど全てを知っていると言ってもいいくらい。方針が決まってからは個人だけでなく、不動産屋の広告にも目を通した。物件の数は個人の方が圧倒的に多かったけど。
 不動産の取り引きというのはシーズンがある。スペインでは長い夏休みのある、そして学校の学年が変わる夏の間に、引っ越したりリフォームしたりする人が多い。だから不動産取引が活発化するのは春から夏にかけて。秋から冬にかけては段々物件数が少なくなって行く。そうとも知らずに何とか週に1件は見ようという目標を自分に課し続けた。知っていれば寒い冬の間は休んで鋭気を養ったのに…

 100パーセント希望通りというような物件は先ずない。皆帯に短し襷に長し。その中でもこれと思う物件に行き当たったなら、すぐに決心しないと人に取られてしまう…何十軒もの家を見たのに未だ決められないでいる自分に、果たして家を買うような大決心はできるのだろうか? 間違えずにいい物件を選べるだろうか? そしてそれを人より早く判断して買うことができるだろうか?

(中略)

 やっと自分にも決断できるような好条件の揃った家が見つかったと思ったのに、又一からやり直し。ガックリ来たけど仕方がない……気を取り直して買ったその週の新聞にひとつの物件が出ていた。場所は、あっという間に潰えたマイホームの夢のすぐ横の通り。電話してみると、なんと同じ建物ではないか。売主は広告を出すのに、余り知られていない正面の通りよりも横の通りの名前を使ったのだ。小さい家なんかないと思い込んでたその建物で、立て続けに2件のアパルタメントに行き当たった…

 新しい物件は7階だった。「問題の家」の反対側、つまり北向きだったが、間口が広く窓が大きいので、明るさには問題ない。むしろ夏は涼しくていいかもしれない。面積は「問題の家」よりも少し狭いが、間取りはこっちの方がいい。狭い分だけ価格は安いので予算内だ。1寝室の割に広々としたサロンには、ここにも暖炉があった。ベランダからは表通りと向かいの建物の前にある大きな庭が見える。裏側の建物がすぐ横に見える「問題の家」より眺めがいい。そして何より、なんの「問題」も抱えていなかった。売主はなんと、同じ会社の広報部員と大学の同級生だった。

 その家は私を待っててくれたかのようだった。多分ほんとに待っててくれたんだ。売主は僅か1年前にその家を、お金の必要だった友人から買ったばっかりだった。半年間人に貸したが次の借り手が見つからないでいる時、自宅の買い替えの話が持ち上がった。アパルタメントを売って資金の一部に充てる決心をした。
家を買おうと思い立ってから1年間、色んな物件を見ては迷い続け、考え、何とか大決心ができるようになるまでの1年間、その売主は私の代わりにその家を「持っててくれた」みたいじゃないですか?

 この家に9年住んだ。
 住む前にリフォームし、住んでからも手を入れた。台所を広げ、タンスを作り付け、内装の殆どを新しくした。浴室のサニタリーを交換し、台所に換気扇を取り付け、家中の窓を取替えて、電気のスィッチと照明を増やした。予算が足りなくて最初にできなかったことを全てやり終わったのは4・5年目だった。お陰で家の構造や各部の名称、部材や素材、工具類の名前は、日本語よりもスペイン語の方が詳しくなりました。

(中略)

 今度マドリッドに行ったら先ずあのあたりを歩きに行くだろう。小さいながらも住み易い自分の家があったところ。貸家や売家を散々探し回ったところ。そして「こんな家に住めたらどんなにいいだろう」と夢を膨らませながら散歩したところ……観光や買い物、それに旧友に会うのも後回しにして…

 2003年の夏の終りに筆者はスペインを引き揚げて日本に帰って来た。初めて住んだ日本のマンションで、その「スペインの集合住宅」との違いに驚かされた。
 構造も素材も、そして設備も、まるで違う。土地の少ない日本で何故? と思うようなスペース効率の悪い構造。傷んだり汚れたりしたら丸ごと取り替えるしかない新建材。かと思えば、雨戸さえなく、そして集中暖房も集中給湯もないのに、最新の安全設備が付いている…???
考えてみれば「集合住宅」に関しては、元々欧米の方が進んでいたのだ。昔の日本には集合住宅なんてなかったのだから。そして戸建の家は何十年か経ったら丸ごと壊して、一から建て直すというのが普通……
でも、それなら何故、日本のマンションは欧米の集合住宅をお手本にして「マネ」ようとしなかったのか?