10. 車(抜粋)

(2003年に通算20年以上生活したスペインから日本に帰国。翌年ホームページで発表した『フラッシュバック・スペイン』の一部です。) 

 1980年の夏、マドリッドのバラハス空港に筆者を出迎えてくれたAさんは、プジョーに乗っていた。高速道路を運転して空港まで来る奥さんも、そして「外車」もスゴイと思った。あとから考えるとスペインじゃあ、日本車の方が外車なんですが! 
Aさんの車に乗り込む前に奇妙な光景が目についた。空港のタクシー乗り場にはタクシーが行列をなして乗客を待っている。そして運転手さん達は車の外にいて、前の車が乗客を乗っけて出ていくたんびに、自分の車を少しづつ「手で押して」前進する。客待ちの間はエンジンを止めていたのだ。
 ガソリン節約のため? 運転席のドアを開けて右手でハンドルを掴む。そして右肩をドアの開口部にあてがい、左手でドアを押さえながら、前傾姿勢になって車を押して行く。一台分進むと止まって次の車が出て行くのを待つ。タクシーの列はそうやってゆっくりと、でも絶え間なく進んでいた。

 その頃のタクシーは結構汚いのがあった。一般に車が古くて、座席の布張りなんかも垢じみてる。中にはバイキンが移りそうな気がするのもあったっけ。勿論エアコンなんか付いてない。スペインのタクシーは普通個人タクシーで、個人が営業ライセンス取って、自分の車で営業してる。当時のタクシー料金は非常に安かったので、中々新車を買うお金が貯まらなかったんだと思う。

 一般の車も「綺麗」と言えるのは少なかった。洗車なんてあんまりしないみたい。86年に日本に出張した会社のスペイン人が、「東京に着いたら車がみんな綺麗でさ、雨が降ったばかりなのかな? なーんて思っちゃったよ」と笑っていた。
 新車の価格は当時の平均収入に比べて高かった。エアコンもパワステも、そしてカー・ラジオもオプションで、みんな少しでも安いベーシック・モデルに乗っていた。カー・ラジオはあとから買って、取り外しのできるのを付けるのが常識だった。でないと駐車中に盗まれてしまう。車を停めてカー・ラジオを抱えて出てくるドライバー、という風景が街のどこでも見られた。

(中略)

イカ

 運転免許は日本の大学を出る前に取っていた。約25年前? 当時の日本車はハンドルの横に3段切り替えのクラッチが付いてました。勿論右ハンドル。以後運転はそれ程しなかったが、折角取った資格を更新期限切れで無効にしてしまうのは勿体無い。帰国して免許を再申請する時にその方が有利と聞いて国際免許を取り、その1年の有効期限が切れる前にスペインの免許に切り替えてあった。ペーパー・ドライバーのままそれを十年目に更新し、そして更に1年ぐらいが経過した時自分の車を買った。

 フィアットの小型車だった。3年目で1万1千キロくらいしか走ってない「掘り出し物」。自分で掘り出したんじゃないけど……(中略)

 2003年の夏は異常に暑かった。日中温度が40度を超える日が何日も何日も続いた。帰国準備の中で車の処分を最後に回していた。やることが一杯ありすぎて車まで手が回らない。最悪の場合、ディーラーに持って行けばすぐ買い取ってくれると思っていた。
 ディーラーは「エアコンも付いてないし…12万5千ペセタで良かったら買う」と言った。ちょっと安すぎない?
同じ会社のマーケティング部員が、出産直後の奥さんが、子供を後にのせる時に楽なフォー・ドアに換えたがってると言った。サービス部員は息子が中古車を探していると言った。お父さんのお古を貰ったのに、早速ぶつけてしまったらしい。
大学生の娘のいる友人にも声をかけた。彼の娘はもう車を持ってるけど、その友達とかで中古車を探してるのがいるかもしれない。走行距離は少ないけどそろそろ10年目に入る、そしてエアコンも何も付いてないベーシック・モデルの小型車を買ってくれるのは、多分「初めて乗る安い車」を探している若者だろう…バレエのクラスの若い友達の携帯電話にかけたら、北の方の海辺で家族とバカンスの最中だった。家族ぐるみであちこち聞いてくれると言った。家の管理人に、そしていつも行ってた近所の修理屋にも声をかけた。親方は「まあ1200ユーロかな」と言った。モデルと年式によって大体の目安が決まっているらしい。中古車売買にかかわる税金を計算するための目安だ。1200ユーロ、つまり約20万ペセタです。そこから手続きの費用とディーラーの儲けを引くと…まあ12万5千になっちゃいますね。親方は心当たりを当たってみると言った。

 マーケティング部員の奥さんは「エアコンの付いてるの」がご希望だった。赤ちゃんもその方がいいよねえ、この暑さじゃあ。サービス部員の息子は、「もっとスピードの出るパワーのある車」が欲しいそうだ。修理屋の親方が「車を見せるから都合のいい時に持ってきてくれ」と電話して来た。「買い手」は若い娘だそうだ。車を引き取りに行った時、親方は「とても気に入ってた、後は値段だな…もうじき10年だから、やっぱり1000ユーロかな」と言った。でもその後連絡はなかった。管理人の知り合いは車を見に来て、「エアコンは付いてないんですか? エアコンの付いたのが欲しかったんだが」と言った。
 あーあ、今年の夏がこんなに暑くなかったら、もっと簡単に売れてたのに!? 9年目で4万キロしか走ってない、超お買い得品だよ!!

 結局二十年来の友達の妹に、1000ユーロで売った。約16万ペセタ。1200ユーロから、彼女が払うことで合意した手続き費用、プラスアルファをおまけしたのだ。彼女の実家のガレージに車を入れて、地下鉄で帰った。家には6割方荷造りの終わった引越し荷物が待っていた。暑い暑い午後だった。

(中略)

路上駐車その三

 路上駐車の多いスペインでは自動車保険が高い。多分盗難や破損が多いからです。車自体の盗難よりも、車の中の物を盗もうとするこそ泥が多い。屋内の駐車場に停めてあっても被害に遭うのだから、「路上駐車場」は押して知るべし。目に付くところに物を置いておかない。これ鉄則。友人の中には「車のドアに鍵をかけない」ことを鉄則にしてるのがいた。一理あります。それなら絶対
に窓を破られたり錠前を壊されたりしない!

 家の前の「専用路上駐車場」で、夜の間に車を開けられた。何も取られなかったが(取るもんがない!)歩道に面していた右側の錠前を壊された。中からならロックできるけど、外から鍵を使って閉めることができなくなってしまった。無理に閉めると完全に壊れてしまいそうな気がするもんね! 
 「盗難」保険で修理できるということだったけど、そのためには警察まで行って被害届けを出さなきゃいけない。半日仕事だ、何も取られてないのに…。それに保険を使うと、折角無事故なのに来年度の保険料に響く可能性がある。中からなら閉まるから、このままにしとこう。今度狙ったヤツがいたら壊れた錠前を見て、「あ、これは一度やられてる、大事な物は置いてないだろう」と諦めてくれるかもしれない…??? 
 折角考えた心理効果は、効果なかった。そのあと2回もやられました。でも識者によると、そうやって錠を壊しちゃったりして、こじ開けたことが分かるような状態で放っとくのは「ヘタクソ」なんだそうだ。つまり本当にやられたのはこの3回だけではない、ということです。

 家の前の「専用路上駐車場」に赤い小型車が停まっていた。たまたま隣に注射して、車を降りたところでその貼り紙に気付いた。助手席の窓に内側から貼り付けてある。「泥棒さん、どうかもう私の車を開けないで下さい。この車には金目の物なんか何にもありません。だのに立て続けに何回も開けられて、錠を壊されました。その都度保険で直してたら、今度保険料が上がります。だからお願い。錠をこじ開けるのはやめて下さい。」……効果があったんだろうか、あの貼り紙?

近くのバス停のすぐ側に駐車してあったマイ・フィアットの、右サイド・ミラーが壊されていた。修理屋の親方は「角を曲がって飛ばして来た車にコスられたんだろ」と言った。そうじゃないよ、歩道の側だったもん…おまけに「コスられた」なんて生易しいもんじゃない。サイド・ミラーが根元から真っ二つ、中のケーブルのようなものでかろうじてぶら下ってる状態だ。土曜日の閉店間際だった。「今日はもう店仕舞いだから、月曜日に持って来な。すぐ直してやるから。」それまでサイドミラーの根元をガムテープでぐるぐる巻きにして支えた。
 時々そういう車を見たことがあったけど、どうしてなのか分かったよ。花金の夜、街に繰り出したティーネイジャーどもに違いない。深夜バスで帰って来て、脇見をしながらバスを降りたところでサイド・ミラーにぶつかって、腹立ち紛れに棍棒かなんかで叩き割ったに違いない。アルコールの勢いを借りて。
 以後、ちょっとでも人が、かすめてでも通りそうなところに駐車する時は、サイド・ミラーをぴったり閉めておくことに致しました。

 月曜日の会社が引けてから修理屋に持って行った。親方は部品の卸売り店に電話した。「フィアットのPUNTO、右のサイド・ミラー……んと、エレクトリックじゃないよな?」「違う、オール・メカニック!」親方は笑った。「その方がいい、安上がりだ」。ベーシック・モデルですから。
 部品はオートバイで5分くらいで届いた。付け替えに約10分。計約15分。〆て9000ペセタ足らず。16%の消費税込みの部品の正価。
 昔っからの町の修理屋で、ちょっとのことには手間賃を取らなかった。部品のマージンだけで利益が出てたのか? 親方の他に若いのが2人、そしてもうひとり、おじいちゃんが居た。修理屋の名前は「アロンソと息子達」っていったから、あのおじいちゃんがアロンソなんだろうか? でも「創業者」というよりは「手伝いの小父さん」みたいだけど……若い2人も親方の息子には見えないし……???

 いつもお客がいっぱいでフル回転していた。親方はどんなお客とも「オレ、オマエ」で話した。老若男女、持ってる車の格を問わず、全て「オレ、オマエ」。徹底してる。初めてオイル交換を頼んで以来、親方の「簡潔な」もの言いが気に入って、いつもそこに持ってったんだけど、ラッキーでした。家から歩いて3分のところにあって、安くて早い。取り替えた部品を見せて、素人にも分かるように説明してくれる。それでいて余計なお喋りはしない。いつも一応ちゃんと直ってるみたいだったし!? 
 普通は「ちゃんと直さない」「余計なところを直して金を取る」って評判です、スペインの修理屋は。大事を取ってメーカーのオフィシャル・チェーンに持ってく人もいるけど、そういうところは元々料金が高いんだから、金銭的にはヘタな、或いは悪徳修理屋に持ってくのと同じ結果になってしまう!? ベーシック・モデルの中古で難しいトラブルもない車を、そんなところで点検するのは「勿体ない」よ。近くにこんな便利な修理屋があるんだから…。バッテリーが死んじゃって車が出せなかった時は、おじいちゃんがバッテリーとケーブルを持って車を停めてたところまで付いて来てくれたし。保険のサービス・カーを呼ぶより手っ取り早い! 

 親方の名前はマリアーノ、若い2人はアンヘルにホセといった。初めて会った頃のアンヘルは紅顔の若者だった。車が好きで好きで仕方ないという風だった。6年間で体も態度も貫禄が増して、親方からお金の事も任されるようになった。新米だったホセも、一人前の修理工になった。40年配の親方マリアーノは6年前も今も同じに見える。6年前にも禿げてたから……そしておじいちゃんの名前と素性は、とうとう聞きそびれてしまった。

性善説

 運転免許ってのは取ろうと思った人の大半が最終的には取れる、言い換えればドライバーの半分は平均以下の能力とマナーの持ち主だ。スペインでは道路や交通規則が、その平均以下のドライバーを想定して作られてるような気がする。いうなれば「人間性悪説」ですね。かなり広い道でも「一方通行」で、曲がり角の円弧なども日本より運転し易い。そして速度制限は大体20キロくらいのサバを読んでるみたいな気がする。高速道路の出口や分岐点のカーブで実験(?)してみると、たとえば制限時速60キロのところなら物理的には80キロで曲がれるカーブです。それくらいオーバーしちゃう人が多いのを見越してるんだと思う。

 一方日本の道路と交通規則は、もろ「性善説」、つまり運転しにくい。一般に道幅は狭いし、車1台しか通れないような道でも一方通行じゃない。溝や電信柱があちこちにあって、角の円弧は小さい。見通しが悪く、カーブ・ミラーも夜の街灯も大して役に立たない。時速30キロの道で50キロ出したら、実験するまでもなく「危険」です。道路も交通規則も、運転が上手で、マナーも良くって、そして慎重なドライバーのみを想定してる感じ!?

 ところがドライバーの方は日本の方が「性悪説」、のような気がしないでもない。信号のないところや車線変更では「中々入れて貰えない」こともある。そのせいか、ガソリン・スタンドやちょっと混む駐車場の出入り口などでは、サービスで道路の車をストップしてくれる人がいる。それに駐停車する時にかなり大袈裟な車間スペースを取るような気がするのは、ドアやバンパーを当てられないようにかしらん???

 路上駐車のスペインでは、バンパーやドアが当たるのを気にしてちゃあ運転できないけど、それ以外のことでも結構寛容。車線変更などは、合図を出せばまず大丈夫、ライトを消し忘れてたりしたら、一生懸命知らせてくれようとする。路上駐車は「困った時はお互い様」の精神で、サービス係がいなくてもドライバー同士、「阿吽の呼吸」で解決しちゃう!?

 でもスペインのドライバーが「寛容」なのは、広くて運転し易い道路のせいかもしれない。

(注: 「路上教習」「アパルカコーチェス」「路上駐車 その一」「路上駐車 そのニッカ」「路上駐車 その完」「サッカー日和」の項は省略しました。)