1. チステ

(2003年に通算20年以上生活したスペインから日本に帰国。翌年ホームページで発表した『フラッシュバック・スペイン』の一部です。) 

 スペイン語でジョークのことをチステという。
 初めてスペインに行った時、次のようなチステを作った。
 ある日本人がスペインにやって来て、スペイン人と友達になった。スペイン人が日本人に言った。「日本とスペインじゃあ随分違うだろうなあ、食べものだとか習慣だとか…」
 日本人「うん、食事の時間も違うね。それから信号だとか…」
 スペイン人「信号? 横断歩道なんかの信号かい? どういう風に違うの?」
 日本人「日本の信号は、緑だったら『渡れ』、赤は『止まれ』、黄色は『注意しながら渡れ』って意味なんだ」
 スペイン人「???…ここだってそうだぜ…」
 日本人「いや、スペインの信号はさ、緑の時は『注意しながら渡れ』、赤の時も『注意しながら渡れ』、そして黄色の時も『注意しながら渡れ』ってことなんだ。」
[青信号の色は(スペイン語では)「青」じゃなくて「緑」です、念のため!]

 スペイン人が数人集まって飲んだり食べたりすると、必ず途中でチステ大会のようになってくる。みんな次から次へと最新のチステを披露して止まるところを知らない。チステのうまい人というのは実にうまくって、おまけに常に新しいチステを知ってる。日々切磋琢磨してるようだ。ひとつひとつの台詞に間を持たせて、大真面目な顔をして落ちまで持って行く。中にはかなり長いのもあって、そういうのは覚えるだけでも大変です。ステップを飛ばしちゃったら落ちるべきところに落ちないもんね。筆者は専ら聞き手に専念していた。

 が、さっきの信号のチステ、このまま埋もれさせるのは惜しい、ような気もする。大勢いる前で堂々と演じるなんてことはとてもじゃないけれど…ごく、ごく、内輪に、ぼそぼそと話してみることにした。結果は…受けた! だって的を射てるんだもんね。自分達の欠点を笑いとばすことが好きなスペイン人。それはそういう欠点を、実は彼ら「誇り」に思ってるからだ。
 そしてこのチステは、彼らが誇りに思える「欠点」をうまく言い表してる…と作者は思う。
 信号が青だからといって安心してはいけない、逆に赤でも渡れると思ったら渡ってしまう。交通規則を守らないのは不真面目だが、彼ら、その不真面目な国民性を『自慢』に思ってる、と思う。日本へ来たことのあるスペイン人はよく、日本人はしつけがいい、組織だってる、社会の秩序がきちんと守られている、個人主義のスペインとは大違いだ、と感心してみせるけど……あれはお世辞だ。本心は自分たちのやり方の方がいいと思ってる…

 でもまあスペイン人がみんな個人主義で、社会がてんでばらばらかというと、そんなことはないです。人間社会である限り、いや動物社会である限り、その秩序を守るためのルールというのは厳然としてあって、大半の人はそれを守って生きている。たとえば会社に来る服装が日本よりずっと自由だとはしても、だからと言って、夏暑いからってアロハシャツにバミューダ履いて仕事してる銀行員なんていない。むしろ、時と場合によっては日本人よりもずっと「服装」や「身だしなみ」に厳しいとも言える。社会環境によって、そして職業によって、越えては行けない一線というのは厳然としてあって、大半のスペイン人はその線を守って、或いは少々はみ出したいなあとは思ってても勇気がなくって我慢しながら生きてる……日本人と同じです。
 ただその線が日本よりちょっと遠いところ、或いは日本とは違うところにあるんだと思う。

 信号だって、大半の良識的スペイン人は守ってる。親だってちゃんと子供に教えてます。
 子供を交通事故になんか遭わせたくないのは、どこの親も同じ。でも敢えて言うならスペインの親は、規則を守ることだけじゃなくて、規則が規則として機能しなかった時にはどうするか、ってことも子供に教えてるような気がするな。つまりルールに対するポジションのとり方が日本とスペインではちょっと違うとでも言ったらいいのか……

 信号を守らないという「欠点」が、何故自慢なのか? 彼らは信号が青でも赤でも黄色でも、「自分の判断で」渡れると思ったら、「自分の責任で」渡るんだと思う。規則を守る日本人は、イザその規則がなくなったら、自分の判断で行動できるのか?
 勿論それができる日本人もいれば、人に聞かないと動けないスペイン人だっている、あくまでも「平均」の話だけど。

 ちなみに私は、スペインでは、信号のあるところもないところも、次のようなクリテリーで道を渡っておりました。「スペイン人が渡るなら、渡っても大丈夫」! それも、そこに住んでるらしい平均的なスペイン人が、です。そう、スペインにだって地理になれてないお上りさんはいる。我々のようなガイジンだっているわけだし、慌てものでそそっかしい、或いは不注意なスペイン人もいるんだから、そういう人につられて道路に飛び出すと怪我をする。だからスペイン人の中でも、お上りさんじゃなくって注意力や慎重度がまあまあそうな人とか、或いはそういう事のレベルが自分と似てそうな人と一緒に行動を起こせば、少なくとも日本に居るのと同じ程度には危険は避けられる? 但しそういう人をどうやって見分けるのかと聞かれても、「なんとなく」としか答えられないけど…

 チステには、イギリス人とドイツ人とフランス人とスペイン人がいてさ…というような、つまりヨーロッパの色んな国民性をネタにしたものがよくあるけど、落ちを務めるのは先ずスペイン人。
 ドイツ人みたいに勤勉じゃない、フランス人みたいにエレガントじゃない、ヨーロッパの兄弟国と比べてどこか劣等生の弟のような位置づけを自ら肯定したような落ちを、実に楽しそうに面白がって話す。それは彼らが「劣等生」であることに誇りを持ってるから、ですよ、やっぱり…

 人間は、意識的にか無意識かは別として、いつも自分の人生を選んでいる。積極的にひとつのものを選ぶか、消極的に他のものを選ばない、つまり切り捨てることによって。
 今まで色んなひとに、何故スペインなの? と聞かれたけど、「偶然」としか答えられない。
 偶然スペイン語始めてみたら面白くて、日本語では表せない自分を表せるような気がした。
 それまで未発達だった脳の一部が開発されてるような気もした。
 だから本当の質問は「何故スペイン語?」なのだ。外国語をひとつものにしたいと思った時に、何故スペイン語を選んでしまったのか?
 日本のA型社会、均一社会で、学校でも家庭でも、そして会社でも、「個を抑える」ことを要求されて育った中で、開発されないまま眠っていた自分がいたと思う。その自分が、いつか目を覚まして外に出たいと思っていたに違いない、とも思う。でもそれがどうやって、或る日、或る時、スペイン語というものを選んだのかは、分からない。挙句の果てにスペインまで行った。気がついたら、大人になってからの人生の3分の2をそこで過ごしていた。