0. フラッシュバック

(2003年に通算20年以上生活したスペインから日本に帰国。翌年ホームページで発表した『フラッシュバック・スペイン』の最初の章です。) 

マドリッド市内からバラハス空港までは、早ければ15分もかからない。この18年の間に新しい高速道路ができ、空港自体もターミナルが二つから三つに増えた。EU統合によって出入国管理が変わったので、空港内の仕様も随分変わった。
 最初の頃は北極経由で片道20時間以上かかる旅だった。シベリア経由が普通になってからはフライト時間は短くなり、航空券も安くなったが、機内食の回数が減って質も落ちた。
 某航空会社のマドリッド・成田直行便ができた年に試してみたら、往復とも機体が故障して空港近くのホテルで一泊するはめになり、以来その会社を使うのはやめた。マドリッドから経由地のアムステルダムに行くフライトが霧で遅れて、日本行きの飛行機に間に合わず、航空会社が手配してくれたホテルで一泊したこともあった。同じく経由地のロンドンでトランクが乗り遅れ、あとから届けられたり、航空会社のストで空港で「野宿」したこともあったっけ。18年間、ほぼ毎年繰り返したマドリッド-成田往復の旅だった。

 今回は片道切符だ。通算20年以上になったスペインでの生活を切り上げて、日本に帰ろうとしていた。最終決定をしてからの道は不思議なほどスムーズに開けて行った。最初の、そして最大の不確定要素だった家の売却は、あっけないほど簡単に決まった。
 この道を進んで行けばいいと、人生に勇気づけられてるような気がした。

 最後の数ヶ月は感傷にひたる間もなく過ぎて行った。家の売却に伴う諸手続き、不要品の処分、ヨーロッパを離れる記念に行ったウィーンとパリ旅行の計画と実行、これが当面最後になると思って取ったバレエの夏季講習、そして会社を辞めてからの二週間余りは、連日40度以上の猛暑の中での荷造り。センチになってる暇もなかったが、実際に「感傷」よりも「希望」の方が大きかった。これっきりスペインに来られないってわけではない。スペインにもヨーロッパにも、又是非来よう。できればのんびりと休暇旅行で。スペインを去る前に会っておきたい友人達には会えたし、将来又会えるだろう。だから淋しさが全然なかったわけではないけど、悲しくはなかった。

 アムステルダムで乗り換えた日本行きの薄暗い機内で、突然、通り慣れたカピタン・アヤ通りからクスコのロータリーに抜け、カステジャーナ大通りを横切って車で家へ帰る時のような感触が体の中に開けた。ああ、こういう事はもう暫くはないのだ……痛みのようなものが走った。

日本に着いた最初の夜、夜中に目が覚めた。今度はそのもう少し北のカステジャーナ大通りをプラザ・デ・カスティージャのロータリーの方へ走って行く感じが、又非常に生々しく体の中に甦った。どちらも、ただ思い浮かべるというのではなく、体のどこかでそれを実際に体験しているようなリアルな感じだった。四次元が開けるってのはこんな感じなのだろうか?

不思議な体験は二度で終わった。