コマココチョージョーフキン

これは昭和30年代の後半、母が初めて車の免許を取った時、学科、つまり交通規則を覚える為に教官が教えてくれたという略語。
最初のコは交差点? 次のマは曲がり角、その後の2つのコは何だったか忘れた。
そして最後は漢字で書くと頂上付近。
つまり、駐停車禁止の場所とか徐行しなくてはいけないところとかに、繰り返し出て来る文言を覚える為の略語だった。

四国の工場町にあった教習所には舗装された道路などなく、母の言葉によれば「縄を張っただけ」のようなものだったそうだ。
そこに、同じ社宅の奥さん達数人と行って、車の免許を取ろうという事になったらしい。
自家用車を持っている人など未だ珍しい時代だった。
母に続いて父が免許を取った後、我が家で最初の中古車を買った筈だけれど、当時その車でどこかに行った記憶はなく、又駐車する場所なんてなかった社宅で、どこに車を置いていたのかも覚えていない。
ただ、その町から神戸に引っ越した時、子供達は多分叔母に連れられてだったか?鉄道で移動したと思うのだけれど、親達はその中古車に当時飼っていた犬のハッピーを乗せて、途中会社の保養所のようなところで一泊しながら移動したのだった。
どこで瀬戸内海を渡ったのか? 当時フェリーなんてあったのか??
覚えているのは、その保養所の管理人のおばさんが犬好きで助かったと、父が後から言っていた事だけ。

もうひとつ母が車の運転で言っていた言葉に、「左小回り右大回り」というのがあった。
これは文字通り、左に曲がる時は小回りで、右に曲がる時は大回りでという意味。

その十何年後、大学最後の年に自分も免許を取って置こうと教習所に通った。
場所は関東南部。
当時の教習所の教官というのは何か怖いようなイメージがあって、近場で「女性にやさしい」と謳われていた教習所に行ったけれど、やはり怖い教官や嫌な教官も居て、習いに来ていた他の女性たちが「今日の先生にはもう当たらないようにして」と頼んでいるような姿も結構見られた。
当時の車は全てマニュアルで、しょっ中エンストするし、パワステなんてない。
幅寄せとか?クランクとか? 呼び方忘れたけど、女性の腕力では重くて、渾身の力を込めてハンドルを切ったものでした。

仮免の試験の時に途中で教官が車のドアを開けて道路を見る素振りをした。
後からそれは、左折の時に道路端から1メートル以上空いていたという確認の為だと分かった。
それで見事に仮免落とされました。
ギリギリ1メートル位だったと思うんだけど…
練習の時にそんなに大回りした記憶はなく、ただ試験で道路端に触れては大変と、慎重に運転し過ぎた事は確か。
当時の教習は4課程に分かれていて、そのそれぞれに最低教習時間が決められていた。
つまり、どんなに運転がうまくても、その時間数は教習を受けなくてはいけないという時間で、最低数で合格するのは既にバイクの免許を持っているとか、無免許で運転してた人だけと言われていた。
で仮免に落ちるともう1時間、本試験に落ちると更に2時間の教習を受けなくてはいけない。
つまりそれだけ授業料が増える訳で、教習所が一発で通さないように必死になれば、こっちも出来るだけ少ない時間数で免許を取りたいと、イメージトレーニングを繰り返したものだった。

去年高齢者講習というのを受ける歳になって、それに実車教習があり、実に何十年ぶりかで教習所の道路を走った。
教習所の先生方、昔の教官達に比べると随分対応がソフトになったような気がします。

でも左小回り右大回りとか、左右の車線幅をサイドミラーで確認しながら走るとか、かつての怖い教官達が教えてくれたような事を最近は教えているのだろうか? と、近隣の細い道のど真ん中を走って来る対向車や、曲がり角でもスピードを大して落とさず、右小回り、左大回りで曲がって来る車を見ると思う。