葛藤の末に

ある人が、今までに書いたブログの記事数が、自分の生きた証だと書いていた。

自分にはそんな風には思えない。
何かを残したいと思って書く気持ちと、自分が死んだ時には全て消し去って無になりたいと言う気持ちが、思えばずーっと葛藤している。

でもそもそもね、死んだらどうなるかが分かってないのですよ。
一方で、犬たちが迎えに来てくれて、もう一度会えたらと思い続けているのは、犬たちが死んでから霊になったと思ってる訳で、実際にそれを感じた事もある。
それなのに自分は死んだら無になりたい、何も残したくないというのは、矛盾してるじゃないかと、やっと気づいた。

まあブログだのSNSだのが永遠にその辺に漂って残ると言うのは、やはり余り気持ち良くない。
犬たちと自分の為に買ったお墓は、13年で合祀となる。
目安は色々あるけれど、要は一定期間、読みたい人は読めて、でもいずれは忘れられて処分されるというのが自然かと思う。

死後の事だけではなく、生前の人生だって、今後どうなるかは分からない。
それを思い悩むのは、自分の力には余った事なのだ。

まあ古いブログはできる範囲で整理しよう、でも出来なかった時には仕方ないと受け入れるしかないんじゃないか?というのが、今日の結論。