自分の一生を夢にみるという夢

以下「’83?と書いてあるので、多分1983年のある日みた夢。

暗いトンネルのようなものが見えて、そちらへ向かってどんどん運ばれて行く。
自分の一生を夢みる、今までの事と未だ起こってない事も夢にみるのだと思って、終わりがどうなるのか、ちょっと怖い。
凄いスピードでみるみるトンネルが近づいて来て、そのトンネルの中に入って行く。
トンネルの壁ははっきり見えない。
だからトンネルなのかどうかも本当は分からない。
ただまわりが暗い。
その内に線描きの蝶々のような形をしたもの(線は蛍光塗料というか、色んな色合いが混ざって、燐光のような?熱のない感じのする光を帯びている)が幾つか飛んで来る。
その内に少しづつ明るくなってきて、出口が近づいたなという感じ。
いつの間にか体の向きが反対になって、つまり後向きに運ばれている。
自分で歩いているのではなく、しいて言えば飛んでいるのだけれど、自分の意思で動いているのではなくて、どうしようもない力で運ばれて行くという感じ。
やはり凄いスピード。

この後がちょっと分からなくて、続きはトンネルを出て、固い荒れた大地の上を行く。
地面は1m位下に見える(普通の目の高さより低いところか同じくらいで見ている)。
やはりすごい速さで”運ばれて行く”感じ。
地面に貼りついたような草がわずかばかり見えて、夢の中で、固い荒れた(乾いた)大地(tierra àrida)だなと思う。
それから一方が崖になったところに着く。
そこから落ちるんだという気がする。
数人の少年(7,8歳かせいぜい10歳、全員男の子)と、ひとりだけ大人がいる。
男の子たちは半そでの白い開襟シャツにグレーっぽい半ズボンのような恰好。
そのうちのひとりに手を握られて、その手が手綱のような働きをして、
そこから落とされるんだと思って怖い。

もう落ちて(落とされて)いる。
男の子の手がするすると伸びて、その一方に自分が居て落ちて行く。
崖は思ったほど高くなくて、下も草やなにかで柔らかかった。
相変わらず後を向いて落ちた。(トンネルの途中で向きが変わって以来、崖の下に落ちるまで、ずっと後向きで運ばれて来た。)

崖を離れて歩き始めた。男の子の手が未だ伸びて来る(地面に着いたのに)。
上でもその事を気にしていて、男の子は「もう切っちゃう」というような事を言って(少し苛々した感じ)自分の腕を肩の下の辺から切ってしまう。
ところがその後にすぐ生えるかなんかして、何ともない。
自分も片手にくっついている手を何とか取ろうとする。
手は強い洗濯バサミのように手を挟んでいて、やっと片方の手から取るともう一方の手にくっ付いたりするけど、それでも何とか取れた。

右手後に泉水のようなものがあって、そっちへ向かう。
ちょっと西洋の古代建築のような感じで、水の中に何本か柱が立っている。
その内の一本(真ん中?)に黒か青のマジックインキのようなもので「○○」と、家族の苗字が漢字で縦に書いてあるのが見えたような気がして、もう一度回って行ってみるけど、もう何も書いてない。
柱の水と接する辺が赤茶色く濁って見えて、「あれは血か、それとも汚れているだけかな」と思う。

崖を背にして泉水と反対の方に建物らしいものがあって、そこの廊下を歩いて行く。
天井は見えない。
右側に柱があって(回廊のよう?)下にやはり水がある。
「水がいっぱい」と思う。
半分意識があるので、水の夢における意味など考えながら夢をみている。
床は小さいタイルが敷き詰めてあって、全体に古い病院みたいだと思う。
古くて汚れているけど元は立派な建物という感じ。
奥で顔に包帯をした若い男が掃除している。
そこにも柱があって、でも床はタイルではなくてコンクリみたい。
車をとめるところのような(地下駐車場のような)感じ。
この男の説明を又夢の中で考えていて、「掃除人のような若い男、いや料理人の下働き風、でも料理人が掃除をするのはおかしいから、やっぱり掃除人」とか思っている。
そういう(料理人のような)恰好をしていたのだと思う。

そこから右の方へ行って、少し広いところに出て、後ろ右の方に髪の茶色っぽい大きな”医者”が回診して来たのが見える。白衣を着てマスクをしていた気がする。外人みたい。
その左上方にベッドがひとつ見えて(廊下に段になったベッドがある感じ)男?の患者が見える(青っぽい病院のパジャマみたいなのを来ている)。やっぱり病院という感じ。
古くて見かけはきたないけどいい病院という気がする、と思う。でも半分意識があるので無理にそう思ったのかもしれない。嫌いな感じではなかった。目が覚めた。
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この夢はどうみても自分の出生の記憶かと思う(実際には病院じゃなくて家で、お医者さんじゃなく助産婦さんによる出産)。
「自分の一生を夢にみる」というのは、生まれてからそれまでの人生ではなく、出生の記憶を夢にみる事だったんだと、ずっと後の94年の2月7日、『夢の辞典』を読んだりしてる内に分かったと書いている。

夢をみる前は「これから先の未だ起こってない事」もみてしまうんだと思って怖かった。
考えてみれば「一生」=「今までに起こった事」で、これから起こる事や自分の最後は分からない、というのはまあ当然か?

ノートにはトンネルから荒地、崖、水や柱との位置関係を表す図まで書いてあったけど省略。