朝ドラ

4月からの朝ドラが村岡花子っていう予告を見て思い立ち、アマゾンで「村岡花子」って検索してみたら案の定、彼女が訳した本が続々… それが「近日発売」「予約可」っていうのばかりで…しかも「復刊」だって。
で今度は「赤毛のアン」で検索したら、「近日発売」「予約可」の村岡花子訳がズラッと並んだ後に、今まで売られていた他の訳者の本がチラホラ出て来る。
以前検索した時には村岡花子訳なんて出て来なかったと思うのに…そう、検索したんですよ、他にも昔読んだ本が今はどうなってるのか確かめたかったから。
絶対と言っていい程の名訳があるのに、それを絶版にしてしまって、他の訳で出してた理由は何ですか?
過去の名訳をコツコツとでも増刷してたら、慌てて復刊しなくても良かったんじゃないでしょうかね??

村岡花子はたまたま?朝ドラで取り上げられて復刊。
でも他にも「昔の名訳」があった筈。
新しい訳が一概に悪いとは言えないけれど(読んでないし)、名訳と言われるものを打ち消してまで出さなくてはいけないような素晴らしい翻訳って、そう簡単にできるもんじゃあ、ないんじゃないでしょうか?

メディア=媒体としての出版社のあり方の問題や、著作権の問題も絡んでると思うんですけど、分析めんどくさいので今日は省略。

子供の頃から大人になるまで、何度も何度も読み返した村岡花子訳の「秘密の花園」。
ちなみに、この本のあとがきに原作から省かれた部分があると書いてあったので、大学時代に文庫本で全訳を見つけて読んでみたけど、どっかの大学の先生が学生に分担して訳させたのか?と思うような訳で、読書の醍醐味が全然味わえなかった。
記憶が確かではないけど、読み続ける事ができず、「原作から省かれた部分」っていうのは結局分からずじまいで終わった気がする。
村岡花子自身の「全訳」がどこかにあるのなら読んでみたい。

そしてこちら(→巌窟王の左) 村岡花子訳「赤毛のアン」シリーズの2冊(出版社&全集が違ってますが)。
秘密の花園」に比べれば読み返した回数は少ないけれど、処分しないで持ってたよ。

他に「小公子」とか「小公女」とかもあった気がするけど…これは捨てちゃったみたいですね。古くなった児童書って、ブックオフでも引き取ってくれなかったし…