その他 想い出

親の遺品整理や自分の生前整理をしていると、すぐには捨てられないものが出てくる。
自分にとってしか意味のないものでも、生きている間は持ってるしかないものもある。
でまあ、「その他 想い出」というのをまとめて入れておく箱を作ったりして。

最初のスペイン滞在時、友達の陶芸工房で、彼らが最初のパートナーと揉めた事があった。結局幾ばくかのお金を払って彼女に出て行って貰う事で決着がついたのだけれど、その時交わした文書が出て来たのにはびっくりした。
そんなものがあった事さえ忘れていたよ。
でも記憶というのは不思議なもので、その文書を交わした場所のイメージなどうっすらと浮かんで来たではないか!
写真を撮ってスペインの友達に WhatsApp で送ると彼女もびっくりして、でやはり思い出したらしい。
短いやり取りの後暫く持ってましたが、結局この書類は捨てました。
でもこれを書いてると又思い出したのは、出て行って貰った元パートナー、若い2人のパートナーよりも外国人で歳も上だった私が参加した時、多分自分の側に取り込めると思ってほくそ笑んでいたその微笑み!

叔父の遺品から出て来たエアデール・テリアの写真、これについてはブログにも書いたので、もう捨ててもいいようなもんだけれど、捨てられない。

小学生の時の文集はまあ見たままなんで…祖母が亡くなった時の作文は学年の文集にも選ばれて載り、その時のいきさつで書きたい事があったんだけれど、元の作文に付いた赤字が自分の記憶と違ってるので省略。おかしいなぁ…

捨てた記憶がないのに残ってないものもある。
若い頃時々買っていたフランスの、多分若い女性向けの雑誌の表紙写真-若くて綺麗な女性の顔写真を、色画用紙にクレヨンでデッサンした事があった。
最初に描いた1枚、描き終わって見ていた時か、さっと風が吹いて、一瞬クレヨンで描いた髪の毛が動いた!
自分でも信じられなかったけれど、確かに動いたのだ、風に吹かれて。
でそのデッサンと、調子に乗って描いたもう1枚、ずっと実家の部屋の壁に貼ってあったのに、捨ててしまったらしい。
元の雑誌と、その前に初めて描いたクレヨン画のマリリン・モンローは残っているのに。

他にもデザインのコースに通っていた時の課題とか、水墨画の習作とか、取っておいても良かったと思うし、それらを挟んであった大きな画板なんて粗大ゴミでないと出せなかったと思うのに、いつ、どう処分したのか記憶がない。

そういえば実家にあった筈の古い録音テープや8ミリのフィルム。
ハッピーの声や、一緒にテレビ塔の山に登った時の映像が入っていたのに、いつの間にか捨てられてしまっていた。
そういう想い出が入っていると多分覚えていなかった誰かに。
同じ想い出でも、その重さは人それぞれ。